TACCHANの日記

アラフォー男性の様々な人生体験から学んだ智慧のご紹介

ナイキのリュックに感謝 おかげさまで認められたい欲求から離れられています。

今から約30年位前にお話です。

 

私の両親は私が7歳の時に別居をはじめました。

 

別居をはじめて、父親と一緒に生活をしていたマンションから一変、2DKのアパートに母と弟と住み始めました。

 

正しいと思い込むと頑なに意見を譲らない母と浮気性の父の両親はわがままのぶつかり合いで、遅くも早くもこうなる事が必然だったように考えます。


わがままなんてものは人にどんな風に見られているのかを気にする人のナルシスティックのぶつかり合いで、底の見えない承認欲求の奪い合い、極めて攻撃的なものだと思います。

 

別居中にしてもシングルマザーの給料なんてのは当時の男性の比ではなく、親からはうちは貧しいんだと言われて育った時期でもありました。

 

ただ、そんな時でも自分の行動から巡り合わせがあって、感謝する出来事もありました。

 

10歳の時にナイキのリュックを懸賞で当てたのです。

 

母親が私に購入をしたナイキの靴下の紙のカバー応募券が付いていて、探求心から送ってみたのです。

 

送るはがきを買う事も初めてで、親、親戚、友人、近所の方々とは全く別次元の企業と言う社会に初めてアクセスしたのです。

 

応募した事も忘れた数ヶ月後に懸賞品のリュックが私の手元に届きました。

 

当時、貧しいと言われた私が手にした初めてのブランド品のバッグでした。

 

そのバッグは9歳から通っていたサッカークラブで使用したり、11歳の時に遠方へ引っ越すのですが、引っ越し先の小学校で友達と遊ぶ時にサッカーボールを入れて使用しました。(サッカークラブの費用は親戚のおばが出してくれていて、スパイクからボールから練習着まで一式揃えてくれていました。)

 

色は真っ黒で、当時の私の手のひらより少し大きめのナイキのロゴがデザインされているシンプルなものでした。

 

中学校でもサッカー部での部活動で使用をしました。

 

頻繁に使っていたので、カバンの中のコーティングは剥げてしまって、生地はヨレヨレになりました。

 

機能上、使用が難しいなと思った時に心の中で「ありがとう」と言った事を今も覚えています。

 

私が物に感謝した思い出の一つになりました。

 

その後も気に入ったものだけを買うようにしていて、使えなくなるまで使うと「ありがとう」と言って手放す事を繰り返していました。

 

ただ、高校生、大学生、社会人と所属する社会が変わる度にだんだんと自分自身の整理が出来なくなってきて、30歳の頃には私も両親と同じナルシスティックな大人になっていました。

 

まわりに認められたい為に地位が欲しい、名誉が欲しい、物が欲しい、金が欲しい、家族が欲しいと底の見えない欲求にとらわれて、気付いたら攻撃的な性格を身に纏っていました。

 

ぶつかるところにぶつかって、失い尽くすと、ようやく自分の大切なものとは何かと気づき、人の価値とは何かを自分の言葉で言えるようになったと思います。

 

ただ、未だにこの資本主義社会の競争原理から生じる葛藤から生じる欲求、他者より優れていると思われたい欲求と劣っていると思われたくないという欲求の葛藤に惑わされます。

 

そんな時にナイキのバッグの記憶が葛藤から生じる恐怖感を払拭するように感謝の気持ちで今も満たしてくれます。

 

幼い私の探求心が巡り合わせを作りました。

 

さて、今の自分の探求心に気づいて縁を作ろうと思います。

 

ではでは。(ナイキさんありがとうございます。)