TACCHANの日記

アラフォー男性の様々な人生体験から学んだ智慧のご紹介

やりたい仕事、面白い仕事、楽しい仕事、、働くとは。

やりたい仕事を14ヶ月間探してみました。

私はこの記事を書いている今現在は次の就職が決まっています。ただ、それがやりたいことなのか、面白い仕事なのか、楽しい仕事なのかはわかりません、、、

これまで約14ヶ月間かけてやりたい仕事を探してきた結果がこれでした。

14ヶ月前の8月に某企業を退職して、就職活動をして、職業訓練に通い、コロナ過でマインドフルネスに励み、就職活動をして、答えが出ないまま仕事に就くことになりました。

ヨーガを学んだうえでの絶対的真理に諸行無我という言葉があります。自分の思い通りに行くことはないということです。

自分が思ったこと、考えたこと、感じたことは「私」がという主語をつける事ができますが、「私」というのはいったい何でしょうか。

実は無我という通り、実態はないのかもしれません。

こうやって私が記事を書いている事態、私の中での何かしらのメリットがあって、そのメリットに突き動かされて、言い換えると欲の通りに行動をしているだけで、私が決断して行動をしているようですが、欲の強弱での神経反応の連続で書いているだけかもしれません。

なんて、難しく怪しいことはさておいて、簡単には自分自身は周りに影響をされて行動している事が多くあると思います。

誰かに認められたい為、何かしら自分の身を守る為、自分が生きていく為なんてことです。

私としては仕事を探すうえで「これがいい」というものに出会いたかったのですが、今回はあきらめたというより、そんなものははなから存在しないのではないかと思いました。

結果的には給与や休みの条件で仕事を選らんで、その環境で健康的に生きていこうと決断をしただけでした。

ただ、やりたい仕事、面白い仕事、楽しい仕事という解釈については私の中で確固たるものができましたので、記述したいと思います。

やりたい仕事

そもそもやりたいものなんてないというのが、私がヨーガを学んだ方の話でした。確かに初めからやりたいものなんて言うのはないのかもしれません。

過去の経験から自分にとって有益なもの、先述の通りに誰かに認められたいとか、自分の身を守る為とか、生きる為ということでしょうか。

私は以前に親戚が営む会社で芸能マネージャーを務めていました。はじめに仕事をしたときはただ単に短髪で外国人の女の子を某有名家電メーカーが行うドライアーのモニターに連れて行って、簡単な通訳をするのでした。時給もその当時の普通のアルバイトに比べたら金額が高かったので、大学生ながら次第に毎週のようにいくようになりました。本業はテレビやCMに出演する外国人をコーディネートする仕事でとても面白いことも多く、次第にのめりこみました。只、一生この仕事で食べていくことは難しいと思って、就職活動をしました。そんな過去がわたしにはあるのですが、今その仕事をやりたいですかと聞かれると面白いのでやりたいと答えるかもしれません。

やりたいには面白いや楽しいが先に意味づけとしてくっついてやりたいになるのではないかと思っています。

面白い仕事

面白い仕事というのはなんでしょうか?前述の芸能プロダクションでの仕事ではユニークな発想が求められる事が多く、それが面白いのように思いました。私が初めてテレビ番組のロケに行ったのはランディ・バースの再現VTRを撮影するときだったのですが、当時にご一緒していただいたバース役のピーターさんはアメリカ人でとても陽気でおしゃべりな人でした。そんな陽気でおしゃべりなピーターさんがバースが阪神で辛い目にあった設定で「アメリカにかえりたーい」というセリフをいうのですが、そのギャップの面白さに笑ってしまいました。というようにある特性と別のある特性がくっついた時のギャップ間というか、それぞれをくっつける発想が面白いになるのではないかと思います。

つまり、仕事に当てはめてみますと、今回私は職業訓練で電気制御について学びましたので、電気の知識と制御する理屈の知識のくっつく発想が面白いという具合ですかね、、、

ヨーガと心理学の知識がくっつくようなものだとも例えることができると思います。

楽しい仕事

仕事で楽しい、もしくは日常生活で楽しいと感じる事はありますか?

一人でままごとをしていて楽しいという感覚があれば、楽しいが解る人なのではないかと思います。

私の中の楽しいは人と人とのコミュニケーションで何かを行っていくことになりました。

一人でままごとをしていても、お父さんやお母さんや友達や子供役をそれぞれ作り、コミュニケーションを図りますよね。もしくは一人の設定でままごとをする人もいるかもしれませんが、一人の場合は寂しい気がしませんか?

仕事で楽しいというのは仕事仲間とコミュニケーションを取りながら仕事をしている時だと私は思います。

楽しさという感覚を味わうには一人では難しく、人との調和の中に見出せるものだと思いました。

働くということ

働く事について悩んでいて、職業訓練校の先生になんでその仕事をしているのかを尋ねた事がありました。その先生は50代くらいのベテランの方で優しく物腰の柔らかい話し方をしていて、私の質問に対してもとても丁寧に答えてくださいました。

「私は理論が好きで、知識を学んでいくと、いろいろな知識とくっついて面白いと思うんだよね。それを学生さんに教えるとたまらなく嬉しいんだ」とのことです。

その先生が働くは「はた」をとって楽にすることが、はたらくと言ったりするよねと言って下記載の本を教えてくださいました。

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私が高校生の時に読んだら今の自分がもっと輝いていたかもなんて思ってしまう本でした。

結局は

結局は仕事で自分が勉強して知識を学ぶ事に対して情熱があれば面白くなっていって、職場でその知識を共有できれば楽しくなるのだろうと納得して、今現在の職に就こうとしています。

どうでしょうか?ご参考になったら幸いです。

安定にしがみつくのは、、、マインドフルネスで気づきませんか。

 

久しぶりにブログを書きました。

色々と決断をすることが多い年齢になってきましたので、悩みも増えて楽しみに目を向ける事が少なくなっていた自分に気付いたら、このままでいいのかななんて思ってしまう毎日です。

さて、皆さんは安定についてどうお考えでしょうか?

私がヨーガをやっている中での絶対的真理として学んだ事の一つに諸行無常という言葉があります。

物事は常に変化の中にあるという意味ですね。

私も以前はそれなりに知名度のある大手と言われる企業に勤めていましたので、会社としての安定なんてものを認識しようとした時期もありました。

けれども安定と思う程、何かを失うような感覚がありました。

安定とは何かを考えてみたいと思います。

安定とは

安定をネットのgooの辞書で調べてみると「物体の定まった、動かない状態」と出てきました。

大きな岩みたいなものを想像しましたが、なんか融通きかねーな、、みたいなイメージも乗っかってきた私は某企業で疲れ果ててしまったのでしょうか。

さて、大きな岩でも大地でも地球でも物体の定まりをイメージしていただくといいのですが、大きなものでも変化の中で存在している事に気づきませんか?

岩は日光にあたり、風にあたり、雨にあたると、風化していくでしょうし、酸化還元反応にさらされます。

大地なんでのは海抜の変化で大きくなったり、小さくなったり、海底深くのプレートが動くので大地は移動しているなんて本も幼い頃に読みましたが、動いているんですよね。

地球なんてのはそう遠くない未来に爆発して電子レベルに分解されて、宇宙の一部に調和されていきますから、量子力学の世界で立証されている通り、科学的にも変化の中にあるんですよね。

そうすると、、、安定なんてないことに気づきませんか。

安定にしがみつく

絶対的安定がないのに、私もそうですが、一般的な考え方に影響を受けてか、安定があると錯覚したものにしがみついてしまいます。

私が某企業に勤めていた時もそうかもしれません。

安定にしがみつことするほど、不安定を拒否して不安になるんですよね。

しがみつついているので苦しくなるのでしょうけど、、、

そんな時は瞑想やヨーガをして気づきを養うように私はしています。

悩みをてばなす

安定にしがみついている自分に気づくと、手放すか手放さないかは自分次第ですよね。

手放すとまた何か入ってくるかもしれません。

悩みを手放すと、新たなものが入ってくるかもしれません。

 

最近は変化に期待を込めて前向きに毎日を過ごせるようになっているので幸福感もそれなりに感じられる毎日になってきました。

 

諸行無常に気づいたお偉い方に感謝です。

ナイキのリュックに感謝 おかげさまで認められたい欲求から離れられています。

今から約30年位前にお話です。

 

私の両親は私が7歳の時に別居をはじめました。

 

別居をはじめて、父親と一緒に生活をしていたマンションから一変、2DKのアパートに母と弟と住み始めました。

 

正しいと思い込むと頑なに意見を譲らない母と浮気性の父の両親はわがままのぶつかり合いで、遅くも早くもこうなる事が必然だったように考えます。


わがままなんてものは人にどんな風に見られているのかを気にする人のナルシスティックのぶつかり合いで、底の見えない承認欲求の奪い合い、極めて攻撃的なものだと思います。

 

別居中にしてもシングルマザーの給料なんてのは当時の男性の比ではなく、親からはうちは貧しいんだと言われて育った時期でもありました。

 

ただ、そんな時でも自分の行動から巡り合わせがあって、感謝する出来事もありました。

 

10歳の時にナイキのリュックを懸賞で当てたのです。

 

母親が私に購入をしたナイキの靴下の紙のカバー応募券が付いていて、探求心から送ってみたのです。

 

送るはがきを買う事も初めてで、親、親戚、友人、近所の方々とは全く別次元の企業と言う社会に初めてアクセスしたのです。

 

応募した事も忘れた数ヶ月後に懸賞品のリュックが私の手元に届きました。

 

当時、貧しいと言われた私が手にした初めてのブランド品のバッグでした。

 

そのバッグは9歳から通っていたサッカークラブで使用したり、11歳の時に遠方へ引っ越すのですが、引っ越し先の小学校で友達と遊ぶ時にサッカーボールを入れて使用しました。(サッカークラブの費用は親戚のおばが出してくれていて、スパイクからボールから練習着まで一式揃えてくれていました。)

 

色は真っ黒で、当時の私の手のひらより少し大きめのナイキのロゴがデザインされているシンプルなものでした。

 

中学校でもサッカー部での部活動で使用をしました。

 

頻繁に使っていたので、カバンの中のコーティングは剥げてしまって、生地はヨレヨレになりました。

 

機能上、使用が難しいなと思った時に心の中で「ありがとう」と言った事を今も覚えています。

 

私が物に感謝した思い出の一つになりました。

 

その後も気に入ったものだけを買うようにしていて、使えなくなるまで使うと「ありがとう」と言って手放す事を繰り返していました。

 

ただ、高校生、大学生、社会人と所属する社会が変わる度にだんだんと自分自身の整理が出来なくなってきて、30歳の頃には私も両親と同じナルシスティックな大人になっていました。

 

まわりに認められたい為に地位が欲しい、名誉が欲しい、物が欲しい、金が欲しい、家族が欲しいと底の見えない欲求にとらわれて、気付いたら攻撃的な性格を身に纏っていました。

 

ぶつかるところにぶつかって、失い尽くすと、ようやく自分の大切なものとは何かと気づき、人の価値とは何かを自分の言葉で言えるようになったと思います。

 

ただ、未だにこの資本主義社会の競争原理から生じる葛藤から生じる欲求、他者より優れていると思われたい欲求と劣っていると思われたくないという欲求の葛藤に惑わされます。

 

そんな時にナイキのバッグの記憶が葛藤から生じる恐怖感を払拭するように感謝の気持ちで今も満たしてくれます。

 

幼い私の探求心が巡り合わせを作りました。

 

さて、今の自分の探求心に気づいて縁を作ろうと思います。

 

ではでは。(ナイキさんありがとうございます。)

 

マインドフルネス瞑想 苦しみを手放し 今を生き抜く 私なりの方法

マインドフルネス瞑想を活用することで最近は苦しみを徐々に手放せるようになってきました。

 

手放すというより、苦しみを作っている自分に気づき、苦しむ選択をし続けるか、苦しみを手放す選択をし直すかといったところでしょうか。

 

その昔、インドを攻めて来たアレキサンダー大王と対峙したヨーガの行者さんは大王の威嚇に微動だにしなかったという逸話を教えていただいた事があります。

 

話の内容としては、大王がインド遠征へ向かう道中、瞑想しているヨーガ行者さんが道を阻んで邪魔だったようです。

 

大王はヨーガ行者さんに、邪魔だどけ、どかなければ殺すぞと脅したようですが、ヨーガ行者さんは微動だにしなかったようです。

 

アレキサンダー大王は死を恐れないヨーガ行者さんに気味の悪さを感じて、インドに攻め込む事をやめたという話です。

 

この時のヨーガ行者さんは死という苦しみを手放していたのだろうかと私は推測します。

 

仏教でも生、老、病、死という苦しみを説いていますから、死は苦しみ何だろうと思います。

 

今回は私なりの方法で日常的な苦しみから解放されつつある、マインドフルネスの体験をご紹介したいと思います。

 

 

マインドフルネスとの出会い

 

私は2018年にマインドフルネス瞑想と出会いました。

 

10数年行っている営業の仕事に従事する中で、自分の欲に執着をすることが多くなり、離婚を経験したために心身症が露わになった事がきっかけでマインドフルネスを学び始めました。

 

まずは自分に気づく事が出来るかが鍵になってくるかと思います。

 

自分に気づくとは、マインドフルネス的に表現すると「今ここ」に気づく事です。

 

車を運転する時に無意識に運転する自動運転型で時間を過ごすのか、今ここの自分に気づき、意図的に注意のを意識的に向けながら時間を過ごすのかの違いがあると思います。

 

無意識に自動運転で時間を過ごすと何がいけないのか!!

 

なんてことも考えるかもしれませんが、マインドフルネスは価値判断をしないでありのままを感じたり、観察しますので、無意識の自分が悪いというわけではありません。

 

只、自分の意識が無意識に自動運転的に生きているという事は欲にただ反応しながら欲のままに生きているとも言いかえる事ができると思います。

 

同じ欲を感じるにしても苦しい方向に向かうのであれば、そこは方向転換ができるようにして、自分が幸せに生きて行けるようにした方が自分にとっては有益な判断になるのではないでしょうか。

 

そんな視点から、私の場合は自分の幸福追求の為にマインドフルネスを実践しています。 

 

理論を知り、実践をする。マインドフルネスと仏教。

 

理論負荷性という言葉があるように、まずは理論を理解する事からはじめました。

 

私がマインドフルネスの理論を知るために読んだ本があります。

 

「マインドフルネス ストレス低減法」というタイトルで、著者はジョン・カバットジン氏です。

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呼吸を観察する方法が記載されています。

 

呼吸は無料ですから手軽に始められますよね。

 

私はヨガインストラクターの資格を持っているのですが、ヨーガの瞑想方法とは注意の獲得の方法が異なり、「目覚め」の瞑想方法になるかと思います。

 

仏教ではヴィパッサナー瞑想がありますが、そのヴィパッサナー瞑想の宗教要素を抜いたものがマインドフルネスだと表現できるかと思います。

 

その他の瞑想方法として、回想法を用いた慈悲の瞑想もありますが、マインドフルネス瞑想は「今ここ」だけを生きる瞑想と言えると思います。

 

 

愛情や感情、幸せなんかも一過性ですが、その一過性のものを感じながら常に生きる事ができると幸福感にあふれますよね。

 

自分の幸福感もコントロールできるというか、幸福感が湧く方に自分をコントロールする事ができるようになるきっかけがマインドフルネス瞑想だと思います。

 

気づく事

 

私の場合はJさんの本を読んでいても、内容が外国人の方の話なので、自分自身に重ねて想像する事がなかなかできませんでした。

 

なので、うまくいかなくてもいいと思って、とりあえずトライしました。

 

すると徐々に自分の思考に気づく様になってきました。

 

その瞑想をしている間に幸福感がでるなんて事はないと思います。

 

幸福感というのは行動から生じる外部刺激との折衝で生じる結果、脳から物質が生じる反応だと脳科学的には言われています。

 

マインドフルネス瞑想をして幸福感が出たなんてのは妄想的な思考に頭の中が支配されているのではないかと思いますので、マインフルネス瞑想と幸福観とは直結するものではないと思います。

 

そんなこんなで自分の思考プロセスに気づくと、徐々に自分の思考のクセに気づく事ができて、思考から一過性の感情が湧き出ている事まで気づけるようになってくるかと思います。

 

思考プロセスや思考のクセと感情の関係を客観的に見直して、調整を加える事で精神面の自己制御が出来てくるかと思います。

 

自分の精神世界という抽象的な世界をコントロールできると苦しみも手放せるという法則的なものですので、単にリフレーミング技術を使いオールポジティブに何でも捉える楽天主義とは一線を画するところがあると私は考えます。

 

楽観主義的思考になると私は考えます。

 

私なりのやり方

 

気づく事について述べましたが、多忙でストレスの多い現代社会でそこまで出来るかと問われると、ヨーガ行者さんのように自分の時間を修行に費やせたら出来るかもしれませんが、そこまでできる余裕がないのが現代人の実情ではないでしょうか。

 

日本ヴィパッサナー協会さんが運営している集中瞑想体験も10日間ですから、同じ取り組みが実生活でできません。

 

そこで私なりに心の気づきを多くするおすすめは、長く寝る事です。

 

とりあえず長く寝てみて自分の心の動きを見つめていきます。

 

いつもは朝7時頃に起きていて目が覚めてもそのまま寝続ける事が出来るところまで寝て自分を観察します。

 

朝は頭の中がクリアで、朝食を食べていなければ食べ物の消化で脳の酸素を腸に奪われません。とても効率が良いと思います。

実際に朝寝坊を多くすることで自分への気づきが多く出来るようになりました。

 

おかげさまで今では心身症の症状に気づく事になり、その原因になっているトラウマ的体験を客観的に観察したり、その影響からくるネガティブな思考に気づいて、思考や行動を調整できるようになっています。

 

おわりに

 

瞑想について様々な本が出版されています。

 

今回紹介いたしましたJさんの本は慢性疼痛の方にマインドフルネスを実践していただいて症状が緩和したという内容のものです。

 

瞑想について正解はないと私は思いますので、宗教色のあるものも含めて色々と実践して様々な視点で瞑想を捉えてもいいのではないのでしょうか。

 

そもそもマインドフルネス的にいうと、正解も不正解、良いも悪いもないことになるのですが、、、

 

何かを良いとすると何かが悪いと価値判断しているだけですからね。

 

ではでは。

 

 

 

 

 

父と子の面会交流手続きについて 私の体験談 

 コロナウィルスの影響で、離婚した父と子供の面会交流が延期になったり中止になっている事が増えているニュースをTVで観ました。

 

 私も今回のコロナウィルスの外出自粛の影響を受けて、子供達との面会交流が延期となっております。

 

私は4年前に離婚をしております。離婚成立以前に元妻や子供達と別居期間が2年あり、別居時から面会交流を行っています。

 

只、私の場合は調停で面会交流の調書を作成している為、その月の面会交流が中止になって行われなくなる月があるわけではありません。行われなかった月の分は翌月以降に延期して行われるように調書上なっています。

 

そのような調書がどのように出来上がったのかを記載したいと思います。

 

今回の件で面会交流が行われなくなるかもしれない、もしくは面会交流の件で手続きをお考えの方の参考になりましたら幸いに思います。

はじめに

私の場合、調停離婚→離婚裁判と手続きが進み、元妻との離婚は決してスムーズとは言いがたくなってしまいました。

 

要は仲が悪く離婚したため、手続きが長引いてしまいました。裁判になった内容は機会があったら述べたいと思います。

 

只、離婚の形がどうでれ、夫婦がどのような形で別れようと、子供にとってはかけがえのない母と父であるのは変わりありません。

 

しかし、共同親権を認めていない日本では、離婚したら監護親が母になるケースが多いと思います。

 その理由については幼少期の母親との愛着の形成が子供の人生に大きく影響をするという心理学的説から子供の幸せを願えば合理的なんだろうと納得をしています。

 

調停の申請について

調停を行うには、相手側の住所を管轄している裁判所の窓口で申請を行う必要があります。

只、ご自身の居住地が相手側の住所を管轄している裁判所の窓口から遠い場合や、裁判所に直接訪問することが仕事の都合で困難な場合は、裁判所に電話をして郵送での手続きをされることもお勧めです。

費用は必要です。子供一人につき印紙代がかかります。又、相手側に調停の呼び出しをしていただくために郵便切手代金が必要になります。

 

申し立てをした人が申立人、その相手側は相手方と呼ばれます。私の場合は、調停時の待合室が申立人と相手側に別れていて、別の部屋で調停をしていた夫妻の夫と思われる方も控室が同じでした。

 

 私の場合は離婚の財産分与の件の話がありましたので、最終的に弁護士に手続きを依頼しました。

裁判所に電話で直接の問い合わせを行い、窓口での直接の相談も私は行いましたので手続きについての流れは下記になります。

 

申請書とその他、申請に伴う書類の記入、子供達と元妻の住民票の提出。

主張書がある場合は事前に提出も出来ますし、話合いの間に提出も出来ます。

何か証拠書類の提出がある場合はそれも提出できますし、裁判所には知ってほしいが、相手方にはプライバシーの悪用などが想定されたりで開示をしたくない情報も提出時に分けて提出ができます。

 

もし、離婚調停と財産分与の調停だけされていて、面会交流の申請をしていない場合は、話し合いのテーブルに面会交流のカードが出ていないと、調停調書の作成はしていただけません。

離婚されるのであれば、面会交流の調書の作成はお勧めします。

 

調停では

 6月に調停の申請をして、8月の上旬に第一回目の調停が開かれました。

その間はお互いに弁護士をたてたところもありその間に面会は行われませんでした。

 

まずは面会交流の必要性について話し合いがされました。

8月の話し合いで、主張書をお互いに出し合う事になり、9月に主張書を調停員に確認していただき、10月に第一回目の面会交流がはじまることになりました。

それからというもの毎月、面会交流を行っています。

当時、私の子供が1歳と5歳という事情もあり、面会時間については3時間となりました。

子どもの成長に応じて面会時間や頻度は多く出来きるようですが、私の場合はその当時に担当をしていただいた女性の調停員さんからのアドバイスで「私が見て来た面会交流をしている父子でうまくいっている人は子供が高校生くらいになるまで細く長く会っていることが共通していると思います」とのことでした。

私はそのお話をきいて、面会交流の時間や頻度について多くしようなどと焦らずに、今後の健全な親子関係の形成を優先にして、ゆったり構えられていると思います。

 

そこまで調停員さんと会話が出来るようになったのは、誠実に事実を話して、気持ちを述べるように努めたからだと思います。

 

調書には一定期間内の頻度、時間は決まった数字が入っていて、その日時と場所は事前に相談する事明記されています。

弁護士さんからは、面会交流を実行されない時には審判で申し立てて、強制執行ができる内容だと聞いています。

 

おわりに

最後に「面会交流が実施されないときは振替ること。」と明記されてると今回のコロナウィルスの件で実施されない時等は延期で話が通りやすいです。

私の場合はこの一文が調停調書に記載ありますので中止になっていません。

 

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父親は子供の社会性のモデルにしやすいと思います。社会に出てからの他人との人間関係の構築の仕方や、父親そのものの役割について学ぶきっかけになるのではないかと私は思います。

 

何より、子供にとっての心の拠り所が多くあり、味方が増えるという点では父と子供の面会交流のメリットは大いにあるのではないでしょうか。

 

面会交流についての電話での相談窓口がネットであったり、無料で弁護士さんと相談できるサービスもありますので社会的サポートを受けられる事もご自身の経験の為にもおすすめです。

 

親子関係についての書籍が数多くありますので自己啓発の一つだと捉えて読まれることも知識として蓄えられ、自信を形成する準備ができると思います。

 

ではでは。